最近のわたし

ここのところ、文章と向き合える時間がなかなか取れず、ブログもご無沙汰になってました。三月に入って自由な時間が少しだけ増えるので、見たこと聞いたこと思ったことを徒然なるままに書いていきます。

 

 

☆コーヒーと不眠

コーヒーのせいだった。おとといの夜はどんなに目を固くつむっても、何匹ひつじを数えても、眠れなかった。食後に濃いめのコーヒーを飲んだせいだ。いつもなら10時を過ぎれば襲ってくる眠気が、すっかり為りを潜めている。明日はテスト最終日で、だから私はなんとかして寝なければと布団にくるまった。目を閉じるが、どうしたことか、眠くない。寝返りを打ったり、天井の節をぼんやり見つめたり、外から聞こえる生き物の声に耳を澄ませたり、そんなことをしていると、いつの間にか時計の針は0時を回っていた。今日が昨日で、明日が今日になってしまった。やばい。寝なきゃ。寝れない。私は大抵、夜10時に寝て朝4時に起きる。4時から6時までは勉強。今は0時30だから、いつも通りに起きるなら寝られるのはあと3時間半しかない。3時間睡眠でテスト受けるとか、むり。依然、3時間だけ寝て学校に行ったら、もう1時間目から頭が痛くて痛くて、散々だったから。寝よう寝よう、寝なくちゃ、私は眠い、私は眠い。そう念じるごとに、どんどん目が冴えてくる。こんなに眠くないのに、外には月が出ていて、今は夜だなんて、おかしいと思った。いいや、おかしいのは私かも知れない。夜なのに、明日テストなのに寝れないとか。強迫観念と緊張のせいか、汗が噴き出していた。胃もしくしくしだして、吐き気がしてきた。寝られない自分が怖かった。朝が来るのが怖かった。暗闇さえもが、私を拒み、世界から弾き出そうとしている。たまらなく恐ろしくなって、電気をつけた。炬燵に入って、英語をやった。知らない言語だった。

英語って実は日本人の幻想で、本当はどこにも通じないのじゃないかしらん。英語も日本語もこの状況も、すべては私一人の妄想なのではないかしらん。私ったらほんとうは微生物の細胞で、その細胞の1個がたまたま分裂した瞬間のエネルギーで生まれた夢なのではないかしらん。要するに、私は一人きりだった。家の中にはもちろん家族がいて、朝が来ればおはようと言って、満員電車に乗って、友達と「全然勉強してねー」みたいな定型的コミュニケーションをとったとしても、たった一人だった。孤独ってこれかな。結構いいじゃん。静かで。時計の針が時間を刻む音と、父の鼾、妹の歯ぎしりだけが、明確に世界に木霊している。父はいつも鼾が酷い。怪獣の断末魔かよ、ってなくらい酷い。妹も歯ぎしりが酷い。アンタの歯は石臼かよ、ってなくらい酷い。寝言も酷くて、いきなり叫んでがばっと起き上ったり、誰かに怒鳴ったりしているようだ。頭の中で繰り広げられる一人芝居も、孤独そのものな気がする。本人たちは眉間に皺を寄せて、夢の中だというのにあまり幸せそうではない顔をしているけれど、その姿はどこか滑稽だ。笑っちゃう。私が思うに、ふたりとも、現実でのストレスが夢に現れるのだろうなあ。

私は夢をあまり見ない。見たとしても、イケメンと遊んでいるか、銃を撃ったりナイフで刺されたり、蟻地獄にのまれたり、あれ、結構バイオレンスだ。とにかく、私はある程度のストレスを発散する方法(書くこと、喋ること、つまり言葉である)を知っているので、あまりストレスを溜めこんだころがない。ところが、父と妹は、圧倒的に口数が少ないのだ。言葉と、言葉の使い方を知らないから。生きづらそうだなあとも思うけれど、夢から覚めた彼らは随分すっきりした顔で「ああ、よく寝た」と欠伸をするので、きっとあまり考えていないんだと思う。物事にいちいち気を取られることはないし、あったとしても熟考しない。あれ、生きやすそうじゃない。わかることは、私と彼らは違う人間で、家族であったとしてもそういうズレが生じるんだってこと。一日一回は、そのズレをウザったく思うのだけれど、こうして書いているとそのズレさえもがなんだかとても愛おしい(ああ、むり、愛おしいとか使うと寒気と吐き気がするぅ)ので不思議なものである。

一心不乱に手を動かしていると、時報が鳴った。英単語で埋め尽くされたプリントが部屋中に散らばっている。外がほんの少し、ほんの少しだけ、明るくなっている。結局、私が寝付いたのは朝の3時だった。