卒業

3月です。春です。
春と言えば別れの季節。今日は私の忘れられない、中学校の卒業式の話をします。

 

空はまるで、卒業の実感の湧かない私の心を映したようなぼんやりとしたくもりでした。三月といえど寒さはまだ残っており、まして鉄筋コンクリートの体育館、室内とはいえだいぶ冷えていました。めでたく卒業の日を迎えた3年生、最前列の席に座った私はどうにもお口が寂しいのでトローチを舐めながら、開式の辞を聞いていました。つまらなかった。ただひたすら早く終わればいいと思っていました。やがて校長先生が壇上に立ちました。長い。校長先生の話が長いのは全国共通、しかしあまりにも長すぎる。長い上に中身が薄い。校長先生の薄くなり始めた頭髪よりも薄い。先生は三年生との思い出を感慨なさげに並べた後、唐突に小説の朗読を始めました。ナサニエル・ホーソンの「大きな顔の石」です。

朗読が始まったあたりで、卒業生の間に、

「こ、こいつは…おそらく三年間で最も長い校長先生の話になるぞ…!」

という緊張が走りました。

もう正直言うと私、今すぐ椅子を蹴り飛ばしたかった。貴重な青春の、短い人生の時間を、こんな金閣の金箔よりも薄い話に費やしたくなかった。でも理性が勝って貧乏ゆすりしかできなかった。隣の人ごめん。私たぶんイライラしてすごい凶悪な顔してたと思う。それはもう、にらめっこしたら石の顔もまっさおになって崩れちゃうくらいにね。

先生はカンペをパラ…パラ…とめくりながら、淡々と読み進めていきました。

抑揚のないその朗読が、だんだんお経に聞こえてくる。

なんか校長先生の声も、心なしか疲れてかすれた投げやりな感じになってる。

後ろの席の子がふとぼやいた。「長いね…」。

村に政治家が来たあたりで私は睡魔に負けた。

夢うつつ、私の頭に浮かんでいたのは、モアイの群れでした。

 

次に出てきたのは、教育委員会のお偉いさんでした。

校長先生よりはましだったけど、話のネタに葛飾北斎を出してきました。エッ北斎って思いました。だって北斎ってアレでしょ、鉄棒ぬらぬらでしょ。富嶽三十六景がいかに世界的な評価を得ているかを語るお偉いさんを尻目に私の頭では蛸と海女が取っ組み合ってました。北斎の絵が好きだったので春画のことも知識としてあったのですが、はぁ…いくら多感な思春期だからってよりにもよって卒業式で、何が嬉しくて種族を超えた触手プレイのハイレベルな一枚を想像しちゃったんだろ…。

 

合唱「流れゆく雲を見つめて」。

その合図にハッして席を立ち、ステージに並びました。私は最前列のド真ん中。

保護者席を見てゾッとしました。私の「関わりたくない人間リスト」に入ってるモンペがずらりと並んで、我が子の晴れ舞台をカメラに収めんとギラギラしながら最前列陣取ってるんです。ヒエーッ、冷蔵庫開けたら中身の賞味期限過ぎてたときくらいのヒエーッですよ。でも頑張って歌ったんです。

練習のとき、流れゆく雲を見つめる私の瞳は虚ろでしたが、このときばかりは未来ある若者らしくキラキラした瞳で、爽やかに歌い上げることができたと思います。

 

そして卒業生の「旅立ちの日に」の合唱。

この時点で私は進路が決まっていなかったので、

「勇気を翼に込めて希望の風にのり~♪」っていう歌詞を口ずさみながら、

私だけのりそびれちゃうんじゃね、むしろ私ののった風、ちょっと反れちゃったんじゃね?休校を期待されたのに別の方向に走ってってボロクソ言われる台風並みに反れちゃったんじゃね?なんて思いながら、こっそりハンカチの準備をしていました。最後だと思うと、自然と声が出ました。♫飛びたとう~(飛び納豆!)なんて合いの手入れる暇もないくらい一生懸命やりました。卒業生たちには不思議に笑顔と一体感が溢れ、澄み渡る若い歌声は体育館いっぱいに響き、保護者や先生も涙を浮かべ…サビに入り最高潮の歌声はますます盛り上がりました。万感の思いを込め、最後の歌詞は噛みしめるように歌いました。ピアノの音がしっとりと合唱のあとをつなぎ、指揮の手がおろされ、体育館は一瞬だけ静まり返ったのち、割れるような拍手の渦に包まれました。

 

事件はそのとき起こった。

指揮の男子が台から降り、お辞儀をし、私たちは席へ戻る…はずだった。確かに先生からそういう指示を受けていた。練習でもみんなおとなしく席に帰ってた。

 

なのに、なのにどうしたことだろう。

周りを見渡しても、誰一人その場から動こうとしないではないか。

ちょっと!と私は隣の子にアイコンタクトしました。なんなら少しくらい小突いた。

なんで皆席に戻らないのよ!

隣の子は悪戯っぽく笑って、言ったのです。

 

「体を左右に揺らして!」

 

は?あっけにとられる私。

どこからともなく流れ始める音楽。

左右に揺れ始めるみんな。

含んだ笑いでわたしたちを見つめる担任。

驚いたように目を見張る後輩たち。

うん、びっくりしたよね、でも私が一番驚いてる。隣のクラスの学級委員長の子が、マイクをもって前に進み出てきました。にこにこ爽やかに微笑んで私に言います。

 

「曲に合わせて左右に体を揺らして!」

 

悪夢だと思った。悪い夢だと思いたかった。

周りのみんな、ゆらゆら揺れながらなにかを歌い始めた。学級委員長の子、ちょっと涙声で喋ってる。とりあえずなんとか皆と同じようにゆらゆら揺れてみた。よし、一応は同化できた。

学級委員長の話に聞き耳を立てる。サプライズファンキーモンキーベイビーズ、歌います。断片的に聞き取れたそのみっつで、私は状況を理解した。学級委員の人たちはどうやら先生たちにもに内緒のサプライズで、式当日にその場で歌を歌うことにしたらしい。

さすが私、見事な名推理。

そういえば、何日か前に手書きの歌詞がのった紙を配られて鞄にぐしゃっと入れて…今日持ってきた、はず。もちろん慌ててポケットを探った。

ない。紙って言ったって選挙に行こうっていう広告入りのティッシュしかない。

 

やばい…歌詞の紙…教室に置いてきた…。

 

周りをソッと伺うと、歌詞を見ながらではあるけれども、みんな感極まったような表情でありがとうありがとうと歌っている。

私もサビだけでもと、歌ってみようとしました。けど、歌えない、歌えるわけない。

 

だってわたし、この歌いま初めて聞いたんだもん、歌詞とかわかんないもん。

わかんないのに最前列のど真ん中。

どうしろっていうの。軽いパニック。

こんなに一生懸命口パクのしようとしたの、初めて。

それ以上に、疎外感がすごい。例えて言うなら、バスケでボールが回ってこないかんじ。移動教室、音楽だと思ってたら理科の実験だったみたいな。

きっとサプライズだから風のうわさのように、口づてで企画は広まったのだろう。基本的に私はあんまり人と話をしなかった。一年の時なんて、一日だけだったけど誰とも口を利かない日があったくらいだ。企画した学級委員長たちは一生懸命準備してくれたのだろうに、私が交流を面倒くさがったばかりに。ちょっとの申し訳なさと、最後までみんなとリア充っぽく盛り上がれなかったことに寂しさを感じました。

 

ちょっと今歌詞を調べてきましたので、参考までに一部抜粋で紹介しておきますね。

()の中は私の感想です。

 

 

ありがとう/FUNKY MONKEY BABYS

 

♫君にどうしても聞いておきたいことがあるんだ♪

(奇遇だね…私も聞きたいよ…どうしてあんなことが起きてしまったのかを…)

♪必死に叫んでいた歌声はどれだけ届いていましたか?♫

(サプライズの計画なら届いてたよ…そう…私以外の奴にはね…)

♫何も見えない暗闇の中で君の涙に気付けていたかな♪

(気付けてなかったよね…あの場で流した涙は私だけが知ってるの…でもそれでいい…あの場で「私この企画知らなかった」とか言って雰囲気ぶち壊すとかいくら私でもできなかったから…)

♪温かな君の笑顔にありがとう♫

(ごめん…それは追い詰められた私の、必死の作り笑いだ…)

♫ラララ…僕は忘れない ラララ…笑顔にありがとう♪

(頼む…忘れてくれ…それに感謝じゃない…私が欲しいのは…この孤独な疎外感への謝罪だよ…)

♪ラララ…僕は忘れない ラララ…君にありがとう♫

(忘れろって…言ってるだろ…うるせぇはよ終われ…もう…やめてくれ…)

 

ラララのとこだけ頑張りました。でも音は外れてました。

歌がラップになったあたりで、観念して歌詞は諦めて、終わるまでずっとにこにこ笑って誤魔化しました。私、歌ってないけど、みんなの歌が聞きたいだけなんです、感極まって歌えないのです、みたいな雰囲気を醸し出すことに全力を注ぎました。

 

ふと保護者席を見ると母がいた。

母は怒ったような目つきでこちらをじとりと見ていた。

冷や汗が私の背中を伝い、体が固まった。慌てて左右に揺れたけど、明らかにリズムもめちゃくちゃで皆と逆方向に揺れてたね。隣の子ちょっと不審そうにしてたよね。

歌はわかんないし、皆すっげえ盛り上がって楽しそう、感動の場面、中には涙してる子もいた。なのに、私だけなんだかロシアンルーレットでからし入り引き当てちゃったかんじ。サイクリングしてたら自転車パンクしちゃって、いいよみんなは先に行ってて…って言う間もなく誰にも気づかれずに取り残されちゃったかんじ。

 

もう泣きたかった。

 

私の頭の中では、白い光の中モアイが大空を流れ、それを見つめる蛸がありがとうありがとうと歌いながら、未来を信じて飛び立つ海女と別れてた。

だんだんおかしくなってきて、泣きたいの通り越して笑いが出ました。

 

 

 

 

ははは、卒業、おめでとう。わたし。